細長く切れ込んだ湾の中ほど、海岸線にひときわ高く、ゴシック風の尖塔(せんとう)が見える。熊本県天草市の崎津集落は、教会を中心に軒を並べる漁師町である。世界文化遺産に登録される「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一つ

 キリスト教が禁じられた江戸時代、潜伏キリシタンといった言葉から想起するのは、息を殺し、人目を避けて生活する信徒の姿だ。ところが、当地には意外な事実が伝わる

 1805年、「天草崩れ」と呼ばれる迫害事件が起きた。崎津で摘発されたのは1710人。村民の7割に上る。実際は、人口の9割が信徒だったとの記録もある。役人も調べはしたが、知らないふりをし、「心得違い」として放免した。一揆でも起こされてはたまらない、ということらしい

 この地では、幕府の宗教弾圧をどうしのぎ、信仰を守ってきたか。「信徒もしたたかだったんです」とは、天草キリシタン館の平田豊弘館長

 例えば「踏み絵」である。後で足の裏を洗った水を飲むなどすれば、踏んでもかまわない。こうしたルールが天草にはあった。何を守るべきか、考え抜いてたどり着いた柔軟性だろう

 「神社では『アーメン』を唱え、クリスマスの祝いも」。いささか「潜伏」のイメージとは異なるが、島の人々が約250年にもわたる迫害に耐えた事実は揺るがない。