「裁判所は当たり前のことを当たり前にやって当然の機関。利用しやすい司法サービスを安定的に提供していきたい」と温和な表情をみせる。関東から北海道までの裁判所で勤務経験はあるものの、四国は初めてとなる。

 主に刑事畑を歩んできた。裁判員制度が導入された2009年には、さいたま地裁であった全国2件目の裁判員裁判で裁判長を務めた。さいたま地裁と前任地の横浜地裁で計65人の被告人の裁判員裁判を担当。「制度導入から最近までずっと関わってきた。中でも全国2件目の裁判員裁判は、台風の接近を理由に補充裁判員を予定より増やしたこともあって、思い出深い」

 常に裁判官の先輩から教わった「事件をして事件を裁かしめよ」という言葉を胸に刻む。この言葉は、気負わず、思い込みを排除して証拠と向き合うことの大切さを説いており、自ら実践してきた。

 少年時代、テレビドラマや映画の影響で弁護士に憧れ、中央大法学部へ。卒業後の1980年、司法試験に合格して弁護士を目指していたが、司法修習中に「独立して自分で判断できる仕事の方がやりがいがあり、向いている」と裁判官の道を選んだ。

 徳島に足を踏み入れたのは香川出身の友人宅に遊びに行った学生時代以来。その時に阿波踊りを見て「非常に興奮する血の騒ぐ祭り」との印象を受けた。今夏は裁判所の阿波踊り連で参加する予定だ。東京都内の自宅に妻と1男1女を残し、徳島市内の官舎で単身赴任。埼玉県出身。60歳。