得意な理科で生計を立てようと選んだ教員の道。平たんではなかったが「教え子の成長が最大の喜び」と情熱を傾けてきた。最後の1年に徳島県内の公立高校と支援学校の校長のまとめ役に就き「培った経験を生かしたい」と意気込む。
 
 県教委の指示を各校に知らせるだけの連絡係にならないよう自戒している。かつて県教委コンプライアンス推進室長を務めた経験から「県教委はどうしても現場の実態が見えにくい」と指摘し、「各校の声を届けるのが自分の役割」と現場の代弁者を心掛ける。
 
 教育者としての原点は、教員採用試験に挑みながら講師を続けた5年間にある。1980年に岡山大理学部を卒業し、県立養護学校板野分校で講師になった。ひのみね分校で初めて入学から卒業までを見届け、生徒の学力向上だけでなく人間的な成長も目の当たりにした。「あの子たちと向き合えたから現在がある」としみじみ思う。
 
 6度目の挑戦で高校の正規教員に採用された後は、城南高や富岡西高など9校で勤務した。「定時制、実業校、進学校と多様な学校で仕事をしてきたのが自分の強み」と話す。
 
 一昨年から校長として赴任している川島高では、創立90周年行事を通して学校に対する卒業生や住民の愛着を知った。少子化を背景に各地で進む高校の統合再編には理解を示しながらも「歴史を断ち切る形になってはいけない」と言う。徳島市で妻と長男との3人暮らし。59歳。