1915年に全国中等学校野球大会(現全国高校野球選手権)が始まって今年で100年。節目の年に徳島県高校野球界のまとめ役となった。「伝統の重みを感じる。高校生のはつらつとした一生懸命な姿は胸を打つ。感動を引き出せるような運営をしたい」と抱負を語る。
城北高から早稲田大に進んで教職の道に。日和佐高(現海部高)を振り出しに、城北高、鳴門高などで英語の教員を務め、生徒の語学力向上に情熱を注いできた。
早大時代に始めた百人一首競技かるたは六段の腕前。身長183センチの体格と瞬発力を生かして「畳の上の格闘技」を制してきた。白球を追った経験はないものの、無類の高校野球好き。甲子園で初めて観戦した試合は74年春、さわやかイレブンと騒がれた池田対和歌山工の準決勝だった。79年夏の箕島(和歌山)対星稜(石川)戦など、多くの甲子園の名勝負が今も脳裏に焼き付いている。
「高校野球には興行主義という批判もあるが、日本の成長とともに歩み、育ってきたことは間違いない」と熱く語る。運営面では、試合時間短縮のためのタイブレーク制の導入が議論されている。徳島県大会では見送られたが、四国大会では今春からの導入が決まった。「今後県内で導入する、しないにかかわらず、粘り強く議論を重ね、監督や選手が納得できる理由を見つける」
県教委教職員課などに長く勤務し今春、徳島科学技術高の校長として9年ぶりに現場復帰した。スポーツが盛んな高校だけに、野球にとどまらず、クラブ活動の見学時間が多くなりそうだ。徳島市北矢三町3の自宅で妻と2人暮らし。54歳。