さぐり棒にロープ、簡易雨量計…。2年前から香川大防災教育センター特命教授となり、自ら考案した防災ノウハウや防災グッズの普及に奔走している。週2回の夜間講座で授業を行うほか、各地の防災講演会に登壇。実演を交えた分かりやすい語り口は好評で講演依頼が相次いでいる。
南海トラフ巨大地震への備えが叫ばれる中、被災地を実地調査して学んだ防災技術や避難方法を伝授。被災してハイテク手段が機能不全に陥った際、誰にでも簡単にできる技術を「ローテク防災術」と名付け伝えている。
「普段使っている電気や電話が使えなくなればハイテク技術は機能しない。大災害時には停電し、電話は不通になると想定した上で、一人一人が身近な防災を考えておく必要がある」と力説する。
1970年に建設省(現国土交通省)四国地方建設局に入り、主に治水畑を歩んだ。転機は徳島工事事務所の開発調査課長に就いた95年。吉野川第十堰可動堰化計画のさなか、5年間、担当官として住民運動の矢面に立った。「治水という言葉に現実味が失われているのを痛感した。防災意識を浸透させることの大切さを学んだ」
四国内に残る津波や水害の石碑、言い伝えを調査。98年に吉野川流域の洪水の歴史を知る上で重要な高地蔵190体を調べ、地図を刊行した。2011年には10年がかりで研究した伝承500件の成果を論文にまとめ、徳島大で博士号を取得。「碑文には貴重な教訓や災害への備えの大切さを凝縮した文字が刻まれている。これを生かすことで被災者の思いに報いたい」と話す。
高松市の自宅で妻と2人暮らし。母と長男が住む阿南市の実家に月2回は帰る。「こんまい時から遊んどった北の脇で松林を見たらホッとするんよ」。古里の話になると阿波弁が出る。
まつお・ゆうじ 阿南市出身。見能林中、阿南工高を卒業後、1970年建設省四国地方建設局入り。勤務しながら75年に徳島大工業短期大学部土木工学科卒業。2008年4月に四国地方整備局企画部環境調整官で退官。同年5月から日本建設情報総合センター四国地方センター長を務めた。13年3月から現職。博士(工学)。高松市木太町在住。64歳。