「赤穂の人に育ててもらった。その恩返しです」。赤穂浪士で有名な兵庫県赤穂市に暮らす人たちの健康と生命を支えて37年。全国組織の要職に就き、国の医療政策にも影響力を持つが、赤穂に基盤を置く姿勢は変わらない。
京都大医学部を卒業後、外科医として奈良の病院などで勤めた。大病院からの誘いを断り、地域に根差した医療の発展に力を尽くしている。
信念は「恕(じょ)」の精神。「恕とは女性が口移しで子どもにご飯を与えるような心のこと。病院には深い思いやりが必要だ」。それは市民病院の理念でもある。
地域医療に携わってきた手腕を買われ、2005年から6年間、厚労省・中央社会保険医療協議会の委員を務めた。08年には全国の自治体が運営する病院でつくる全国自治体病院協議会(東京)の会長に就いた。
現在の活動は東京が中心だが、現場を重視し、中央集権的な制度の改革に向けて知恵を絞っている。「現政権は地方創生などと言うが、東京で暮らす政治家や役人に何が分かるのか。大都市に人や行政機構などが集まる状況は脱却していかなければならない」と語気を強める。
「人が日本の資源であり、医療と教育は人を支える基幹産業。これらを軽視する現状はおかしい」と指摘し、「訴訟のリスクが低く、収入が高い診療科目に行きたいと願う医学生が増えるのは由々しきこと」と力説する。その視線は政治や社会情勢ばかりではなく、同業の医療従事者にも向けられる。
病院で開かれる講演に招かれるなど、徳島には定期的に戻っている。「都市でも田舎でも、地球規模で考えれば同じ一点にすぎない。東京ばかりに顔を向けず、地元で一生懸命に過ごす生活は素晴らしい」と話した。
へんみ・きみお 旧満州(中国東北部)で生まれ、1歳ごろ三野町(現三好市)に引き揚げる。城南高、京都大医学部卒。現在、全国公私病院連盟副会長、関西広域救急医療連携計画推進委員会会長、兵庫県参与など多数の役職を務める。京都市在住。71歳。