半世紀ほど前、徳島市内の国道11号は現在のバイパスとは違い、市内をクランク状に曲がって吉野川橋につながっていた。直角に曲がる交差点が2カ所あった。写真はその一つ、中吉野町3の吉野橋東詰め交差点。1968(昭和43)年の撮影だ。
国道はここで画面手前から北(画面右)に曲がっている。歩行者用側道のある狭いコンクリート橋が当時の吉野橋。西(画面奥)へと直進すると県道徳島鴨島線(通称・田宮街道)に続く。
ここに橋が架けられたのは1924(大正13)年で、それまでは渡し船が結んでいた。当初は工場が造った私設橋。後に県営となり、39年にこのコンクリート橋に改修された。
歩行者用の側道は交通量の増加に伴い66年に増設されたもの。これには写っていないが、画面右側には昭和初期まで運航していた船の乗り場もあった。
2008年に四車線化されるまで道幅は狭く、路線バスが民家の軒先ぎりぎりに行き交っていた。