人生の山道を登りながら、こう考えた。

 不義理をすれば角が立つ。慣例に従えば面倒だ。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい―。

 ブツブツ言いもって、せっせとパソコン(PC)に働いてもろうて、あっちこっちにええ顔しとった年賀状。それが坂道を下り始めて、孔子はんが耳元で囁きはったんよ。「七十而従心所欲不踰矩(七十にして心の欲するところに従って、のりをこえず)」。嘘や。ほんまはPCがへたり、インク代もばかにならんと、目覚めんよ。

 で、来年からはもう年賀状は出しまへん、と勇気を奮って出したら、効果満点。次の年から来んようになった。向こうさんも、ほんまは「やれやれ」と思うたんと違うで。ところが勝手なもんで、来んようになったらなったで、寂しいもんですなあ…。

 元旦。トントントンとオートバイが止まって、ポストに何やら入った音を聞くと、それっとばかりにのぞいてみる。来とう、来とう。そんでもまだ、これだけ来てる、困ったもんや、とニヤニヤしながらの桃色吐息。

 「結婚しました」「子どもが生まれました」。「子どもが…」ゆうて、アンタんちのアルバム見せられても、しょうもないと思うとったのが懐かしいな。ほう、「来年は定年です」やって。あんたも年取ったなぁ。しゃあない、返事を書くか。

 「今年もよろしゅうに」。(意地野悪婆)

山道を登りながら考えた…=夏目漱石の小説「草枕」の冒頭の一節、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」のもじり。 「七十而従心所欲不踰矩」=論語のことば。「三十にして立つ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳従う」に続いて、こう説かれている。