「パティシエ」という言葉が市民権を得るはるか前の1978年に、洋菓子製造の世界に飛び込んだ。生み出すケーキなどの商品は多くの人の話題になり、テレビや雑誌で取り上げられることも少なくない。大阪では経営する店の名も広く知られている。
 
 「本当においしいものを、安全なものを出し続けることが信条です。金もうけなどは二の次」。柔らかな表情の中に強い信念がのぞく。
 
 「大阪商人になりたい」。美馬市穴吹町の山間地で生まれ、中学を卒業するとすぐに大阪へ出た。当初は肌着などを作る繊維業に就いたが、資本力が物を言う業界に限界を感じて退職した。三度の飯より菓子が好きで、23歳の時、菓子職人を目指して府内のホテルに入った。
 
 スタートは遅かったものの腕を磨き、ホテルのシェフパティシエまで駆け上がった。しかし、バブル崩壊以降の不景気が襲う。コスト削減を迫られ、納得のいく商品を提供できなくなっていた。
 
 「ホテルでできないなら自分で作ろう」。当時47歳という年齢、家族のこと…など不安はあったが、「味で勝負する」との思いは熱く、2002年に独立する。
 
 看板のチーズケーキ「デリチュース」をはじめ、商品には絶対の自信があった。苦しい時を乗り越え、着実に人気を高めていく。「宣伝も割引もせず、正直な商売を心掛けてきた。そんな姿勢を地域や多くの人が支えてくれた」と振り返る。
 
 還暦を迎えた。「定年退職しようかと思っていたが、菓子職人の地位向上に向け、さらに努めたい」と意気込む。「徳島の自然や人の温かさが今の自分を形作っている。さらに精進して『田舎から出てきて頑張っているよ』というメッセージを古里に伝えていきたい」。

 ながおか・すえはる 美馬市穴吹町出身。古宮中を経て、勤めながら日本放送協会学園高卒。守口プリンスホテルのシェフパティシエなどを経て、2002年独立。デリチュースは箕面市に本店、大阪市内に2店、シンガポールにフランチャイズの1店を置く。豊中市在住。60歳。