愛媛、高知、福岡、大阪、千葉の5府県警で勤務経験がある。着任会見では、安全安心という言葉を例に挙げ「安全は客観的な事実。安心は人の気持ちの問題。安全を超えた確かな信頼感がないと安心とは言えない」と語り、県民に信頼される力強い警察を目指す方針を示した。
警察庁では警備畑を主に歩んできた。内閣官房内閣安全保障室に出向中の1995年は阪神大震災、警察庁長官銃撃事件、函館空港での全日空機ハイジャック事件が相次いで起こり、国の危機管理体制が見直されるきっかけとなった。
東日本大震災発生時は、警察庁に設置された支援対策室で派遣部隊の後方支援を担い、宿泊所の手配などの調整に当たった。発生から3週間後に目の当たりにした岩手県陸前高田市や宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の惨状は今も脳裏から離れない。
震災以前に高知県警で津波対策に取り組んだ経験を持つが、当時は被害が実感として分かっていなかったと思い知らされた。「初動段階の情報の集約が第一。それによってその後の動きが決まってくる」。これまでの経験を踏まえ、南海トラフ巨大地震対策に臨む。
愛知県生まれ。徳島県とは縁がなかったが、2歳から18歳まで兵庫県西宮市で過ごしたことから「隣接県なので親しみを感じる」と話す。趣味はウオーキングとサイクリング。四国霊場八十八カ所巡りには「ぜひチャレンジしたい」と声を弾ませた。妻と長男、長女を東京都内に残し、単身赴任。50歳。