2年前に国土交通省からJR四国に出向し、総合企画本部特任部長として経営基盤の強化に取り組む。少子高齢化により鉄道事業の収益が伸び悩む中で「これからはインバウンド(訪日外国人旅行者)を含めた外からの集客が不可欠。四国の魅力を幅広く発信して観光客を呼び寄せたい」と知恵を絞っている。
 
 「観光資源としての鉄道を生かした地域おこし」を活性化のキーワードに掲げる。愛媛県南部と高知県西部を結ぶ予土線で人気を呼んでいる3タイプの観光列車「予土線3兄弟」の名付け親でもある。地元自治体や地域住民と連携してスタンプラリーを企画したり、沿線イラストマップを作製したり。列車の乗り継ぎ時刻を示した観光ルートの提案などPRに余念がない。
 
 小学校卒業と同時に古里の小松島市を離れ、灘高校から東京大法学部に進んだ。「交通行政を担い、地域に制度面で貢献したい」と旧運輸省に入った。2年間在籍した秋田県では企画振興部長として秋田空港のソウル直行便や夜間駐機を実現し、地方空港の利便性向上に力を注いだ。
 
 転機となったのは2006年に就任した中部国際空港の経営企画部長時代。トヨタ自動車役員出身の社長が毎日、空港の売り場に出て販売員一人一人に声を掛ける様子に「部下のモチベーションを高めるのは上司の責任。企業にはサービスを提供する社会的使命がある」と学んだ。その後の公務員生活の指針となり、現場主義を徹底している。
 
 高松市で単身生活。「83歳の母が暮らす小松島市に高徳線、牟岐線で月2回は帰っている」。離れて45年になる古里への思いは強く、東京や関西の友人に毎年、フィッシュカツやスダチを送っている。「古里の特産品や文化は自慢。徳島の宣伝部長のつもりなんよ」と話した。
 
 よねだ・ひろし 小松島市出身。小松島小、灘中、灘高校、東京大法学部卒。1983年運輸省(現国土交通省)入り。在タイ日本大使館一等書記官、鉄道局鉄道企画室長、都市鉄道課長、港湾局総務課長、運輸安全委員会事務局審議官などを歴任した。2013年JR四国に出向し、14年7月から総合企画本部特任部長。56歳。