ボクシングに生きがいを見いだした袴田巌さん(86)は、浜松市の自動車整備工場で働きながら、ジムで練習を続けた。やがてアマチュアボクサーとして頭角を現し、1957年9月、静岡県で開催された国民体育大会のボクシング競技にバンタム級の代表選手として出場することになった。
浜松市営プールが国体の試合会場になり、屋根付き特設リングと階段状の観客席が設けられた。
試合の日、観客席の上段から弟に声援を送っていた姉ひで子さん(89)は、袴田さんが転倒すると、リングに向かって大声で叫んだ。「頑張れ、立つんだ、巌!」…
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