「日中交流の歴史の大部分は民間人が築いてきた。その一翼を担えることになってうれしい」。両国の学生交流イベントや市民への中国史講座、留学支援…。日中友好の懸け橋となるべく、協会として取り組みたい構想が次々と飛び出す。
協会員としての日は浅く、4月に加入したばかり。しかし、徳島大に総合科学部が創設された1986年から同学部の教官に迎えられ、今日まで中国史を教えてきた経験が買われた。協会への加入も「次の会長に」と推されて決断したという。
専門は三国志。三国志時代の中国では人々の間に経済格差が生まれ、金や権力による横暴を否定する思想が確立した。高度成長期以降の日本の在り方に違和感を抱いていた自身の考えにぴたりとはまり、以来40年にわたって研究を続ける。「西洋とは違う独特の価値観を持つ中国は魅力的な国だ」と言う。
長い教師生活の中で、草の根交流の大切さも実感している。90年に学生を連れて中国・上海市の復旦大を訪れた際、ほとんど会話が通じなかった学生同士が、トランクを太鼓に、ガラスコップを鉦(かね)の代わりに阿波踊りで親睦を深めた。個人として向き合ったとき、言葉の壁や政治的軋轢(あつれき)は関係なかった。
学内でも中国人留学生と日本人学生とを引き合わせ、交流を推し進める。「両国の次世代を担う若者たちに、互いのことを知ってもらいたい。今度、協会主催で気軽なギョーザパーティーでも開こうかな」と笑った。
趣味はクラシック音楽や映画の鑑賞。石川県小松市出身で、徳島市内で1人暮らし。62歳。