「裸一貫で身を立てる」。この言葉に金属切断加工メーカーを神戸市に興して47年の物語が宿っている。がむしゃらに働き、約40人の従業員を抱える企業に育てた。「働くことには何の苦もない。努力は人の10倍したと思うが、苦労はしていないな」と振り返る。

 高知県との県境にある宍喰町久尾(現海陽町久尾)に生まれ、中学卒業と同時に大阪に出た。5人きょうだいの真ん中で、父は戦病死し、その暮らしは厳しかった。出発の日、母が渡そうとした餞別すら受け取らずに「もうけに行ってくるから」と告げた。20歳までは帰らないと誓いを立て、実家を後にした。

 鉄鋼業を営む親戚の工場に住み込みで働き始め、実績を上げた。27歳で独立して2年後、神戸市長田区に工場を設ける。造船や建物に使われる厚い鋼板のほか、超精密部品の切断も手掛けて、業界では知られた存在になった。

 高度経済成長期やバブル期の活況に沸いた時代もあったが、オイルショックや阪神大震災に見舞われるなどの厳しさも味わった。神戸市西区に約1万2千平方メートルの土地を構え、社屋と工場を新築移転させた2009年は、リーマン・ショックに端を発した不況のさなかだった。

 「もうける時は遊ばずにとことんもうけて、不況の暇な時こそ設備投資をしっかりやらんといかん」。押し寄せる好況、不況の波を乗り越え、自らつかみ取った経営哲学なのかもしれない。

 古里を離れて久しいが、その集落が消滅の危機に直面しているとのニュースに心が痛むという。「農業や観光も大切だが、10年先、20年先を見て、工場誘致を進めないと地域の活性化はおぼつかないだろう。古里を応援する気持ちは持ち続けている」と話した。

 おじり・ふみとし 宍喰中杭ノ瀬分校卒。1968年、まや鋼業を発足させ、71年に株式会社へ改組。神戸ハイテクパーク工業会理事、神戸西防犯協会顧問、神戸西区協力雇用主会会長なども務める。神戸市在住、74歳。