「モノづくりのまち」として知られる東大阪市で、熱を加えて強度を高めた金属製品を製造する金属熱処理の会社を興し42年になる。その製品は高速道路や橋、工業機械などに使われている。着実に実績を積み重ねてきた企業家だが、意外にも「最初は漁師になるつもりでした」。

 由岐町阿部(現美波町阿部)で生まれた。親類一同でマグロはえ縄漁船に乗って遠洋漁業を営み、自身も中学卒業後に無線通信士の資格を取って乗り込むことが決まっていた。ところが乗船直前になって船が台風で遭難。漁師になる道は絶たれた。19歳のとき、仕事を求め大阪に出た。

 電気店で働き、数年たったころ、現在と同じ事業を営んでいた会社の社長に誘われて転職。8年間勤めた後、31歳で独立した。オイルショックのさなかだったが、妻の千惠さん(68)と二人三脚で乗り切り、会社を軌道に乗せた。今では従業員数は30人。工場も手狭になるたび移転して広げてきた。

 「誠意ある仕事を心掛け、目標に描いたことは実現できたのではないか」。充実したこれまでの半生をそう振り返る。「夫婦そろって健康だったのが何よりありがたい」とも語る。

 2年前に社長を長男に譲って会長に就いた。経営の一線から退いたのを機に、好きな歌に打ち込み、日本クラウンから歌手デビューを果たした。バラード曲「ひとりよがり」、演歌「酒」を携えて大阪府内外へ営業にも回る日々だ。「呼ばれたら徳島へも歌いに行きますよ」

 海を望む生家は今もあり、古里を思う気持ちは薄れることがない。「仕事に趣味にと走り回れるのも、古里の海や両親が健康な体に育んでくれたからだと思う。今後も雑草のように力強く歩んでいきたい」と話した。

 きもと・かつじ 阿部中を経て大阪高等無線学校卒。1973年、木本電子工業を設立し、91年に株式会社へ改組。歌手デビューは2013年で、10月3日午前7時からサンテレビの歌謡番組に出演する。東大阪市在住、73歳。