1994年1月28日深夜。政治改革で最大の焦点だった衆院の選挙制度改革は、300小選挙区と比例代表11ブロックを並立させる案で決着した。この歴史的な合意を分水嶺(れい)として、日本の政治は大きく変転し、劣化とも指摘される今の状況につながっていく。あの選挙制度改革は何だったのか。当事者が振り返り、教訓と未来への指針を1年にわたり語る。
劣化招いた小選挙区制 大義なき二大政党瓦解
岸田内閣で4閣僚が相次いで更迭されるのを見て、政治の劣化を改めて痛感しました。現行の小選挙区制の結果だと言わざるを得ません。そう考えると、選挙制度改革の決着劇を思い出します。
あの日は雪が降っていました。政府提出の政治改革関連法案は衆院を通過したものの、参院では社会党などの反対で否決され、廃案の土壇場で細川護熙首相と河野洋平自民党総裁とのトップ会談が開かれたのです。
首相特別補佐だった私は総理執務室で固唾(かたず)をのんで行方を見守っていましたが、一瞬にして結論が出てしまった。細川さんが何らかのごり押しで自民党案をほぼ丸のみさせられたのでしょう…
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