「あらためて入賞の実感が湧いてきた」。リオデジャネイロ五輪出場が決まったまな弟子の伊藤舞選手を指導した実績で3日に日本陸連から勲功章が贈られ、喜びをかみしめた。
北京の世界陸上で7位入賞した伊藤選手との出会いは2008年2月。ニュージーランドで行われた実業団の合同合宿で、デンソーに所属していた伊藤選手の走りを見て「離されそうでなかなか離れない、粘り強い選手」との印象を持った。
上半身と下半身の動きがあまり調和していなかったとはいえ、「うまく育てれば世界で戦える」と、大塚製薬への加入を打診した。一番ほれ込んだのは気持ちの強さ。「優れた選手となるために最も必要なのは気持ち。伊藤は常にもっと速くなりたいと渇望していた」と、入部当時を振り返る。
理論家であると同時に、選手に寄り添った誠実な指導スタイルでも知られる。もともと3000メートル障害の名選手だが、日本陸連の男子マラソン部長だった07年10月には「自分の足で実体験してこそつかめる情報もあるはず」と、北京国際マラソンに挑んだ。
伊藤選手が11年に韓国・大邱で行われた世界陸上で惨敗後、体の不調を訴えた際には徹底的に原因を調べ、食物アレルギーがあることを突き止めた。「不調には必ず原因がある。選手本人が諦めない限り、どうにかしたい」と強調する。苦境を二人三脚で乗り越え、北京大会で成果を出した。
リオデジャネイロ五輪まで約10カ月。「北京で出場を決めたことで十分な準備期間を得た。しっかり力を蓄え、より上位を狙わせたい」。2人の新たな挑戦はすでに始まっている。北島町出身、鳴門市在住。55歳。