「1区から積極的に攻めるという、目指していたレースをしてくれた」。県高校駅伝で悲願の初優勝を成し遂げた徳島科学技術高の教え子たちを温かいまなざしで見つめた。

 2年前の県駅伝ではゴール直前に美馬商高(現つるぎ高)に逆転された。その新聞記事の切り抜きを上着の内ポケットにしのばせてレースを見守った。「涙をこらえきれなかった選手の気持ちや、全国に行かせてやれなかった無念さが今の指導の原点」と話す。

 徳島科技高が県駅伝で全国大会の出場切符をつかんだのは初めてだが、2009年と14年には四国駅伝で好成績を残して都大路へ。しかし、昨年は出場58校中50位と強豪に全く歯が立たなかった。翌日、選手と話し合い、全国への挑戦を続ける意味で「継続」というスローガンを決めた。

 練習では技術指導をするだけではなく、「基本的なことを大事にしよう」と言い続けてきた。きちんとした食事を取ることや一定の睡眠時間を確保することの大切さなども強調。「しんどいかもしれないが、必ず成長につながる」と説き伏せ、結果に結びつけた。7人の優勝メンバーには2年前に悔し涙をのんだ選手も含まれている。

 徳島東工高時代の3年間は長距離で活躍。故佐野健次監督の下で全国切符を3度獲得したが、主将だった3年時は故障して走れなかった。その分、出場できない選手の気持ちがよく理解できる。

 15日に四国駅伝があり、都大路でのレースは12月20日。全国では20位台を目標に掲げており、「チーム内に競り合いを生み出し、本番までにさらに個々の選手のレベルを上げたい」と話す。保健体育の教諭として19年目。藍住町勝瑞で妻と娘2人の4人暮らし。45歳。