富岡東高校の女子バスケットボール部顧問に就任して28年目で、チームを大会3連覇に導いた。「うれしいというよりも肩の荷が下りた」。試合終了のブザーが鳴ると、険しいままだった表情がようやく緩んだ。

 1月の県新人大会と4月の県選手権で、いずれもライバルの城北高に完勝しながら、7月の県総体では足をすくわれた。「次も負けるのではという不安があった」だけに、決勝で底力を発揮した選手の活躍ぶりに目を細める。

 バスケットボールで勝つために必要な身体の強さ、正確さ、速さを磨くためには「基本を徹底して継続するしかない」と信じる。だからこそ、練習では選手に「手を抜くな」「目立たないところでも頑張れ」と厳しい言葉を投げ掛ける。

 熱血漢で厳しい監督というイメージが付きまとうが「普段は冗談も口にする」と笑う。厳しくも温かい人柄を慕う教え子は多い。

 夏場に約2週間、体調を崩して入院した際には7年前の全国高校総体で16強入りしたメンバーの1人が急きょ、監督の代役を買って出た。技術指導を代わってもらったのは、長い監督歴の中でも初めてのことで「本当にありがたかった」と振り返る。

 富岡西高を経て1980年に日体大を卒業後、古里で体育教諭となった。口癖は「真面目で誠実が一番。感謝の気持ちを忘れるな」。チームを支えてくれる多くの人たちに恩返しするためにも、趣味の磯釣りはしばらく封印し、全国での1勝に力を注ぐ。

 生まれ育った阿南市富岡町の自宅で妻と次女、両親との5人暮らし。58歳。