ちょっと、聞いてつかはれ。子どもがいじめに遭っている親御さんが学校に行って、クラスのみんなに向かって「考えてほしい」と訴えたというんです。

 これは学校側からの要望ではなく、我慢の限度を超えたための「突発的」行動であったそうじゃ。ちょっと前までは、こうした親を「モンスター」と呼びよったことがあったな。

 けんど、怪獣ゴジラがなぜ生まれたのかが今、検証されているように、なんでこの親がそんなことまでせんならんかったんか、ように考えてみいへんで? いじめをやめさせようと、直談判したんでよ…。

 そこまで親を追い詰めたものは、一体なんで? 「学校」が子どもに求めるものは、時代によって変わっていくはずでないではないですか。多様化した社会に「人」としてどうあるべきか、そのために「学校」というものがあるはずや。

 もっと「心」のありようを、子どもたち自身が自分で考えるような指導を、文部科学省は学校に求めるべきやないですか。少なくとも小学校という、大人の入り口にいる子どもたちへの「指導要領」は知識偏重ではなくて、むしろ「心を育てる」ためにはどうすべきかを示すべきと違うで。

 岸田さんは「異次元の少子化対策」やら言うてるけど、いい気なもんや。「金を出すから産め」ではなく、産んだ子を大切に育てていくような社会でなかったら、アカン。(意地野悪婆)

※聞いてつかはれ=聞いてください ※モンスター=モンスター・ペアレントのこと。学校側に理不尽な要求を突き付ける保護者をこう呼んだ ※ゴジラ誕生=1954年公開の空想特撮映画「ゴジラ」で描かれた逸話。南洋の海に棲息していた古代の大型爬虫類が、水爆実験の放射能を浴びて怪獣化したとされる。同年3月に日本の遠洋マグロ漁船が太平洋ビキニ環礁で操業中、米軍核実験の放射能を浴びた「第五福竜丸事件」に想を得ている