城東高校の男子バレーボール部を12年ぶりの優勝に導いても表情が緩むことはなかった。3-0の完勝だが「内容はいまひとつだった」。試合中は「選手の力をうまく引き出せているだろうか」と自問自答を繰り返し、コート脇から激しく指示を出し続けた。
阿南市中大野町で生まれ育った。幼いころから体を動かすことが好きで、大野小時代はバレーボール以外にも野球や水泳、バスケットボール、陸上と何でもこなした。ただ「男子は野球、女子はバレーボール」という時代の風潮には逆らえず、阿南一中に入学してからはバレーボール一本に絞った。
富岡東高でレフトのエースとして活躍。日体大では1年時からレギュラーとなった。在学中、全日本大学選手権で優勝を経験。ユニバーシアード日本代表にも選ばれるなどプレーヤーとしての経歴は輝かしい。
4年時には主将に選ばれ「競技に向き合う姿勢を口で言うのではなく、自らの態度や姿勢で示した」。100人を超す部員をまとめあげた苦労は、古里でバレーボール部の指導者となった今に生きている。
城東高男子の監督として5年目。常に「選手とともに戦える監督でありたい」と願い、妥協を許さない厳しい指導には定評がある。
その一方で部員一人一人に必勝の願いを込めた縁起物のミサンガを編むなど細かな気配りを忘れない。「選手を励まし自分自身を励ますため。選手が忘れずに身に着けてくれていることがうれしい」。誇らしげに優勝トロフィーを受け取る教え子の足首に飾られたミサンガを見やりながら、ほんの少しだけ笑顔を見せた。
徳島市南昭和町で夫と娘の3人暮らし。保健体育教諭。44歳。