<スベテアッタコトカ アリエタコトナノカ>。詩人で小説家の原民喜が「夏の花」に書いている。自身の被爆体験を基につづった短編である

 広島市の人口は当時約35万人。1945年8月6日午前8時15分、突然、アリエナイ地獄に突き落とされた。姿を失った街があった。熱線に焼かれた人間がいた。この年の末までに、約14万人が亡くなったとされる。抑制的な文体から人々のうめき声が聞こえる

 きのう、広島は被爆から73年の「原爆の日」を迎えた。原爆死没者名簿には、新たに5393人の名が記され、総数は31万4118人となった。被爆者の平均年齢は82歳を超す。あの日を知る人は、年々少なくなっていく

 平和記念式典で、市内の小学6年、米広優陽君と新開美織さんは訴えた。「人間は、美しいものをつくることができます。しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です」

 73年がたっても、いまだに世界には1万4千発以上の核兵器が存在する。自分たちの世代が原爆の事実を受け継いでいかなければ、今まで被爆者が語ってきてくれた意味がなくなる、と米広君

 原爆は天災ではなく人災だ。であれば平和も人の力で築けるはず。核兵器禁止条約の採択など、ようやく動き始めたこの世界。今年も子どもたちに教えられた。「私たちは無力ではないのです」。