おはようさん、リーゼント刑事こと秋山博康です。

 大阪府八尾市で先日、手配中の盗難車に警察官が拳銃を発砲しました。米国のような銃社会ではない日本では、事件の真相より警察官の発砲が適正だったかどうかが問題となります。警察官は治安維持のためにあらゆる現場へ出向き、全て法的根拠に基づいて活動しています。当然、危険な現場もあります。私は4回も命の危険にかかわる現場に遭遇し、九死に一生を得ています。

 1回目は機動隊員だった22歳の時です。佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争のデモの警備中でした。その10数年前にも大規模なデモが起きていました。私は投石や鉄パイプによる攻撃をジュラルミンの盾で防御していました。デモ隊の人数は数十人から数百人に増え、危険を察知した徳島小隊は小隊長の命令により安全な場所へ待避することになりました。最前線で任務に当たっていたため、デモ隊の大声や投石と鉄パイプが盾に当たる激しい音で退避合図が聞こえず、私だけが取り残されてしまったのです。

 気がつけば、投石と鉄パイプが私に集中していたのです。「もうダメだ、殉職や」と思いました。機動隊に入隊当初、成田闘争の警備に当たっていた機動隊員がデモ隊に鉄パイプで撲殺されるビデオを何回も見て教養を受けており、「自分もそうなってしまう」との思いが脳裏をよぎりました。

 「まだまだ警察官として徳島県民を守らなければいけない」「こんなところで殉職している場合ではない」。そう思うと、ヘルメットを脱ぎ、その場に土下座をして「殺さないでくれ」とデモ隊に拝み倒しました。命を守るためにはこの方法しかない、ととっさに考えついたのです。すると、1本、2本と鉄パイプが地面に置かれました。目の前のデモ隊員2人が攻撃を止めたのです。その瞬間、私は走って逃げました。やはり土下座姿にまで攻撃はできなかったのでしょう。格好悪いやり方でしたが、命には変えられません。

 その後、刑事になってからも3回、人質立てこもり事件の現場で命知らずの捜査をやってしまいました…