「お世話になった奈良県と縁をいただいた徳島県との懸け橋になれれば」。奈良に徳島ゆかりの人が集う県人会ができて15年。設立当初から参加し、2009年からは事務局長に就いて、会員同士の交流促進や徳島との連携強化を図っている。

 大阪で生まれ、就職後は奈良で暮らし、徳島で過ごした経験はない。それでも「出身を聞かれたら『池田です』と答えている」。

 11歳の時、母の再婚相手となった三好市池田町出身の父と出会った。「お父さんよ、と言われても納得できなかったね」。そりが合わず、早く家を出たいとの思いでいっぱいだった。海外特派員に憧れて外国語大に進んだが、希望した会社には採用されず、奈良県内に仕事を見つけた。念願だった自立も果たした。

 28歳の時に父が他界。数々の仕事をこなし、家族を持つようになって、大工として一家を支えた父のことを考えるようにもなった。

 生活は厳しくとも大学まで出してくれた父。反発ばかりで孫も見せられず、楽もさせられなかった。

 「すまないという思いは今もある。供養にはならないかもしれないが、徳島のために一生懸命やりたい」

 県人会の会員は高齢化が進み、活動が低調なところも少なくない。だが、奈良では阿波踊りや書道、ウオーキングなどの同好会ができるなど盛んだ。青年部と女性部も組織された。その企画や実務を一手に引き受けている。

 「県人会の活性化イコール徳島の活性化だと思う。県出身者だけが参加するのではなく、徳島ファンが集まるオープンな場になれば、もっと素晴らしいものになる」と力を込める。「他の県人会とも交流し、連携を深めながら、さらに魅力ある活動を進めていきたい」。

 ほんで・りょういち 大阪府吹田市出身、関西外国語大卒。1973年、奈良新聞社入社、91年に企画制作会社・アクトコーポレーションを設立。奈良徳島県人会は2000年から参加。09年に「やまと文化フォーラム」を設立し、邪馬台国など歴史研究も進める。奈良市在住、67歳。