勝利が決まると立ち上がり、ピッチでガッツポーズする選手を笑顔で見つめた。「昨年は決勝で逆転負けし、この日に懸けていた。よくやってくれた」とフィフティーンをたたえた。
昨年の県大会の反省から、選手には試合が終わるまで体力が落ちないよう、走力の強化を求めてきた。疲れ果てて地べたに座り込む選手に全力疾走を命じたことも。「日本代表のエディー・ジョーンズ前ヘッドコーチと同じようなことをやった」とおどける。
ラグビーを始めたのは脇町高1年の夏。162センチと小柄ながら、猛烈なタックルを武器にセンターでレギュラーをつかんだ。天理大在学中、後に日本代表となる徳島県出身の林敏之、平尾誠二ら一流選手が活躍していた同大とも戦った。1993年の東四国国体では、成年2部の優勝に貢献。右の前頭部にうっすらと残る傷痕は、決勝でのタックルで血まみれになったときにできた勲章だ。
「高校時代に届かなかった花園に指導者として出場したい」。こんな思いから教員の道を志し、6度目の採用試験で合格。97年、母校の監督に就任し、2000年と03年に夢を実現させた。つるぎ高に赴任したのは14年春で、自身3度目の花園出場となる。
尊敬するのは、昨年の全国大会で準優勝した御所実(奈良)の竹田寛行監督=美馬市出身。脇町高と天理大の1年先輩に当たり、「生徒への思いやり、ラグビーの理論、人間性など全てが素晴らしい」とたたえる。自らも「思いやりのある人間を育てること」を意識する。
美馬市脇町で妻、三女との3人暮らし。54歳。