名参謀から名指揮官へ-。徳島ヴォルティスのJ1昇格を陰で支えたヘッドコーチが、来季は表に立ってチームを再びJ1舞台に押し上げる覚悟を決めた。今季は得点が少なく、1年でのJ1復帰を逃したのは「コーチだった僕のせい」と反省しながら「アグレッシブに戦い、徳島の皆さんに熱く応援してもらえるようなチームをつくっていきたい」。表情は穏やかだが、言葉は明確で力強い。
コーチとして2008年の山形、11年のFC東京、13年には徳島をJ1へ導いた。映像を基に相手チームを分析し、試合の流れを読む力に優れる。山形時代もタッグを組んだ小林伸二監督(55)の誘いを受けて徳島のヘッドコーチに就いたその年に、四国初のJ1チーム誕生を実現させた。
理想の監督には、やはり小林監督を挙げ「くじけない姿や指導に注ぐ情熱に学ぶところは多い」と言う。初のJクラブ監督という今回のオファーに対しても真っ先に助言を請うと「やった方がいいよ」と背中を押されたのが決め手になった。
現役引退後、高校の保健体育講師としてサッカー部のコーチをしながら小学生らのクラブチームでアルバイトをしていた20年前、徳島の前身・大塚FCヴォルティス徳島からコーチのオファーを受けた。「プロとしてキャリアをスタートさせた思い入れのある徳島で指揮を執れるのはうれしい」と縁を感じている。
大勢のプロ選手を育ててきた中で説くのは「サッカーを続けること」。出場機会の少ない選手にも目をかけ、長所を褒め、やる気を起こさせる。会見で繰り返した「自分らしく」の言葉には、実直に選手と向き合い、共に成長していきたいとの願いが込められている。
横浜市出身。藍住町で1人暮らし。48歳。