多くの飲食店が軒を連ねる高松市中心部の繁華街・鍛冶屋町。6月、日本料理店「どちらいか」をオープンさせた。瀬戸内の魚や野菜を中心に旬の食材を生かした料理が人気を呼んで、連日にぎわっている。
店名の「どちらいか」は客への感謝を込めた。「古里のあいさつ代わりの温かい言葉で出迎え、気軽に寄ってもらえる店を目指している」と話す。杉の一枚板で作ったカウンター越しに客のリクエストに応じ、鮮やかな包丁さばきを見せている。
高松市中央卸売市場に毎朝出向き、サワラやマナガツオなどとれたての地魚を仕入れている。徳島の食材を積極的に使い「タチウオやハモはやっぱり徳島産。焼き魚にスダチは欠かせない」。焼き魚は備長炭を使った炭火で焼き、ご飯は羽釜で炊く。「食べたらおいしさが分かる」。そこには手間を掛けた和食へのこだわりがある。
美馬市脇町出身で東京の大学を卒業後、横浜市で1年半の営業マン生活を経て、24歳で一念発起し料理人の世界に飛び込んだ。「学生時代から料理店を開くのが夢だった。スタートが遅い分、いろんな店で経験を積みたかった」
銀座や青山の有名和食店で6年ほど板前修行をした後、30歳でドイツに渡った。フランクフルトの高級ホテルにある日本食レストランで勤務し「いろんな料理を食べてみて四国の食材が世界一だと思った」。国内外の6店で計15年の修行を積んで四国に帰り、独立を果たした。
「高松は都会に比べ新鮮な食材が安く手に入る」と満足そう。それでも店を手伝う妻(37)と長男(4)を連れ、月に1回は両親の暮らす美馬市の実家に帰る。「阿波弁の店名を見て、来てくれる徳島の人もいる。将来は地元徳島で店を開きたい」と郷土愛をのぞかせた。
にしの・まさひろ 美馬市脇町出身。脇町小、脇町中、脇町高を経て駒沢大経済学部卒。不動産管理会社で勤務した後、2001年から銀座や青山の和食店で板前修行。06年にドイツに渡り、高級ホテルの日本料理店で腕を磨いた。12年11月に帰国し大手しゃぶしゃぶチェーンの店で2年余り勤め、今年6月に日本料理店を開いた。高松市在住。39歳。