1月にYouTube番組の収録があった。以前にも紹介した上勝町公式YouTube番組「ゼロ・ウェイストチャンネル」だ。今回のテーマは「ゼロ・ウェイストってなに?」。

 一般的にゼロ・ウェイストという言葉は、ごみをゼロにすることを目標に、できるだけ廃棄物を減らそうとする活動のことを示す。しかし、「ウェイスト(waste)」という言葉には、ごみだけでなく「浪費」や「無駄」といった意味も含まれている。では、ゼロにしていきたい浪費や無駄ってなんだろうか?

 商品を生産する段階でかけられるエネルギーは多過ぎないか。捨てられるときにリユースやリサイクルができずに「ごみ」となる部分が出ないか。おおむね、そんな点から「浪費」や「無駄」が考えられると言われる。しかし、何をもってそれと断定するかは難しい。

子どもの工作をどう見るか?

 例えば、子どもが作る工作をどう見るのか? 先の番組収録では、そんな議論が持ち上がった。学校や保育園で子どもたちが作って持ち帰ってくる工作の数々。色画用紙や色紙を切って、ペットボトルにボンドで貼り付けているものや、針金と段ボールがくっついたものなど、自由に作られた作品を見ると、「複雑な気持ちになってしまう」と、ある出演者は話した。

息子が学校で作ってきた工作物。金属、廃プラ、木製品、紙、焼却物に分別できる

 資源を回収する観点からは、いろいろな素材が混じりあって、複合的になってしまった工作物は、分別が難しく、資源に戻りづらいので、減らしたい物になってしまう。ペットボトル、金属、紙類、段ボールと分別すればリサイクル可能だ。物によっては、有価資源になる。つまり、引き取ってもらう際にお金を受け取れる。

 混ざってしまうと、分別に手間がかかる。分別できなければ、廃プラスチック類か焼却など、お金を支払う形でのリサイクルになってしまう。先の言葉を使えば、「無駄」な物になってしまうのだ。

 だからと言って、子どもの工作を制限すべきか? これについては、出演者一同、口をそろえて「NO」と答えた。自由に発想し、子どもたちが自らの手で作るものを、「ごみになるから」という理由で、制限したり、やめさせたりするべきではない。そしてそれを「ごみ」と呼びたくない。だとすればこれは、「必要な無駄」、生活に必要な「消費」ということになる。

ゼロ・ウェイストとクリエーションの間で

 ゼロ・ウェイストを突き詰めていく段階で、創造(クリエーション)とのバランスに悩むことがある。ある視点からは「ごみ」や「無駄」となることが、別の視点では「宝」や「新しい経験」となる。

 現在、私はある企業と連携して新しい製品をつくろうとしている。詳しくは言えないが、上勝町のごみステーションで45分別された素材を使った製品だ。

 もしかしたら、分別された素材から新しい製品をつくる行為自体が、無駄、あるいは、新たなごみを生む活動に見えるかもしれない。そのまま素材として置いておけば、リサイクルのフローに沿って、資源として回収されていくのだから。一方で、関わった私には、いろんな学びがあった。

 先日、製品の試作のために、ごみステーションで45種類の素材を集めた。すべて、小さなサイズに切り取って、集める必要があった。中には「タイヤ」など、切り取るのが難しいものもあったが、現場スタッフの方々の協力を得ながら、なんとか45種類を集めた。

試作品のために上勝町ごみステーションで集めた45種類の素材

 この作業中、私は幾度となく、ごみに思いをはせることになった。「私が切っているこのタイヤは、どこでどれくらいの年月、使われたのだろうか」。そんなふうに、それぞれの物がこの場に集まってくるまでの背景を想像する。上勝町で長く暮らしてきたが、そこまで考えたのは初めてで、新鮮な経験だった。

 「一升瓶」と「茶色瓶」は、上勝では別々のカテゴリーで回収している。しかし、細かく砕くと、違いがほとんどわからない。いつもはこの二つを「サイズの違い」で見分けているからだ。「物」が「それ」であることはどうやって証明できるのだろう。そんな、普段の生活では思い付かない難解な問題を考えることもあった。 

 無駄や浪費を生み出したくない気持ちと、新しい実験を試みたい気持ち。「ゼロ・ウェイスト=ごみゼロ」が前提であれば、無駄なものはつくってはならないというプレッシャーがのし掛かる。極論、何もしない方がいいのだ。それでは、何もつくれなくなってしまうし、新しい経験も生まれない。

キャンベラの「ノー・ウェイスト(No Waste)」という考え方

 オーストラリアの首都キャンベラは1996年、世界で初めてゼロ・ウェイストを宣言した都市として知られている。しかし、厳密に言えば「ゼロ・ウェイスト」ではなく「ノー・ウェイスト」を戦略として掲げている。「ゼロ」だと、ごみの排出量や処理量をゼロにする、定量的な目標にとどまってしまう。だからキャンベラは、より概念的な「ごみから解放」を目指して「ノー・ウェイスト」を採用したとされている。ここに、何かしらのヒントがありそうな気がしている。

 物は大事に長く使えば生きるし、宝になる。ぞんざいに扱えば、ごみになる。子どもたちが持って帰ってきた工作物を家に飾る。するとそれは作品としての価値を持つ。そしていつか、それを処分する時が来たら、ちゃんと分別して資源に戻す。それができる上勝の仕組みは、「ごみから解放された社会」の一つの在り方なのかもしれない。

東輝実(あずま・てるみ) 1988年生まれ。上勝町出身。関西学院大卒業後、町へ帰郷し、夫らと合同会社RDNDを設立し、カフェ・ポールスターを経営。NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー事務局長を経て、現在は仲間とともに上勝町で滞在型教育プログラム「INOW(イノウ)」を展開している。

東さんのコラム「Rethink 上勝町のゼロ・ウェイスト」は毎月第3金曜日に公開します。