「風の童子の歌 富士正晴詩集」

「風の童子の歌 富士正晴詩集」

 「竹林の隠者」の異名を持つ三好市山城町出身の作家・富士正晴(1913~1987年)。詩、小説、評伝、評論、エッセイに加え、墨彩画や版画など、幅広いジャンルの表現を手掛け、童心あふれる作品の数々を世に送り出した。さらに同人誌「VIKING」を創刊して意欲ある書き手に発表の場を提供し、多くの後進も育てたことでも知られる。

 多様な分野に才能を発揮した富士正晴だったが、10代で文学に目覚めた頃から“表現の根っこ”にあったのは、詩人の魂である。本書はそんな富士の没後約20年を経て編まれた大部のアンソロジーで、未発表作を含む237の詩編を収めた。今年は富士の生誕110年。ぜひ手に取って、独特の詩世界に触れてもらいたい詩集である。

 富士正晴は4歳までを山城で過ごし、その後、朝鮮半島、さらに神戸へ。三高(現在の京大)在学中、志賀直哉の紹介で詩人・竹内勝太郎を知り、師事する。学友の野間宏、竹之内静雄とともに同人誌「三人」を創刊し、試作を重ねた。本書には「三人」に発表した全112編が収録されている。

 31歳で陸軍に召集され、中国大陸での過酷な兵役も体験。戦後は神戸で「VIKING」を創刊し、同誌からは島尾敏雄、庄野潤三、高橋和巳、津本陽らを輩出した。富士自身も「敗走」「競輪」「徴用老人列伝」で芥川賞候補、さらに「帝国陸軍に於ける学習・序」で直木賞候補になっている。小説「豪姫」は勅使河原宏監督によって、映画化された。

 大阪府茨木市安威の屋敷の周囲には竹林が広がっており、世間と隔絶したような暮らしぶりから「竹林の隠者」と呼ばれた。だが、一兵卒として過ごした従軍生活で骨がらみとなった批判精神や、社会のありように対する透徹した眼は一貫しており「日本人を考える 司馬遼太郎対談集」(文春文庫)などでその謦咳に接することができる。

 三好市山城町の生家跡には富士没後10年の1997年、地元有志らの手で詩碑が建立された。吉野川の渓谷を見下ろす山あいにあり、〈日傾くなり 燈を用意せよ 日傾くといえども あおぎ 戻すべし〉と刻んでいる。また長年、居を構えた茨木市の市立中央図書館には、富士正晴記念館が併設されている。

 本書は「VIKING」元編集長で、富士正晴記念館学芸顧問も務めた安光奎祐氏や、解題を執筆した日沖直也氏らによって編まれ、2006年に刊行された。画期的なのは同記念館が所蔵する未発表詩を、数多く収録したことである。

 「一人の童子が」(1942年)と題する詩編(6連)の第5連を紹介する。

 一人の童子が歩いてゆく。燕が空を
 音もなく軽やかに辷つてゆく、
 まつ青な花が高みにひらいて
 山山に雪は安らつてゐる。

 「飛行」(1940年)の前半も見てみよう。

 富士正晴が空をゆくと
 軽やかな雲は微風を呼ぶ、
 山々嶺々は片頬笑んで
 東の方より曙は来る、
 海原の匂やかな深みから
 数知れない鷗の群と光とが
 富士正晴を追つて来る。

 日沖氏は本書解題で、富士の詩作について「融通無碍にして不屈の作家富士正晴の多岐にわたる芸術領域において、詩作は、その出発点であるばかりでなく、作家の晩年に至るまで、その創作生活における孤高の運命を暗示しつづけて滔々たる営みであった」と位置付けた。その上で「青空や自然、童子や童女の魂への讃美を飽かず朗々と歌いあげる」と読み解いている。

 安光氏によれば「童子は、神の化身であるかもしれない」という。あるいは童子とは、富士正晴その人の化身であったのだろうか。

 「風の童子の歌 富士正晴詩集」は編集工房ノア発行、606ページ。徳島県立図書館などで閲覧できる。