晴野まゆみさん

晴野まゆみさん

 3月8日の国際女性デーにジェンダー平等を目指し女性の人権や性差別について考える記事を紹介する。

 1989年、福岡県内の出版社に勤めていた晴野まゆみさん=チームふらっと社長・編集長=が日本で初めてセクハラ被害を訴え、民事裁判を起こした。セクハラはその年の新語・流行語大賞に選ばれ、97年の改正男女雇用機会均等法でセクハラ防止規定の策定につながった。裁判から34年がたち、セクハラの認知度は飛躍的に向上し、対策も講じられつつある。それでも、いまだに加害は繰り返され、被害を訴える提訴は後を絶たない。セクハラはどのような構造の中で起き、なぜなくならないのか。昨年11月に徳島市で行われた晴野さんの講演内容を紹介する。

【繰り返された性的な誹謗中傷】

 1980年に福岡県内の小さな出版社に入社し、男性編集長の下で働いていた。頑張っていたら周囲に評価され、あまり仕事ができない編集長と給与の差が大きいのは不公平だということで、彼が少し減給され、その分私の給料に上乗せされた。面白くなかったのだろう。次第に編集長から性的な誹謗(ひぼう)中傷を受けるようになった。

 「男出入りが激しい」「複数の記者やライターと男女の関係にある」など、社内外のあらゆる人にありもしないうわさを流す。性的な中傷を言いふらすのはセクハラであり名誉毀損(きそん)だが、当時は自分さえ我慢すればいいと思っていた。次第にうつっぽくなっていったものの、小さな会社で人間関係を壊すのが嫌だった。

【我慢の限界を迎え会社に直訴するも、解雇に】

 そんな中、決定的な出来事が起きた。卵巣腫瘍の手術で休職することになった私のことを、編集長が取引先の人に「晴野はあっちの病気。夜な夜な激しいから」などと話しているのを聞いたのだ。女性の病気に対して、汚らしい表現をされることがどんなに衝撃的で傷付くことか。3年にわたる誹謗中傷を経て、我慢の限界を迎えた。

 これ以上黙っていたら私の方がつぶれてしまうと思い、親会社の社長と専務に直訴。ところが社長には「それくらい笑って許すのが大人の女」と言われた。その後、「2人がいるから会社の雰囲気が悪くなる」として、私だけが解雇された。編集長は3日間の謹慎だった。専務に理由を問いただすと、「女は結婚すればいいが、男は辞めさせるわけにはいかない」と。「君は仕事は有能だが、男を立てることを知らない。次の職場では、立てることを覚えた方がいい」とまで言われた。

【裁判に踏み切り、多くの女性の苦しみを知る】

 被害を受けたのはどちらなのかということよりも、性別で判断されてしまう。加害者である男性は経済的に家庭を支えているという理由で守られ、被害に遭った女性が会社を追われる。なんでこんな理不尽なことが起きるのだろう。女性弁護士が開設した法律事務所に相談すると、「明らかに職場における性差別だ。女性だから、被害者でありながら簡単に排除されたのだ」と説明され、セクハラ被害を理由に裁判を起こすことになった。

 提訴に向けて実態把握のために実施したアンケートでは、多くの女性から被害体験が寄せられた。「あいさつがわりにお尻を触られる」「スリーサイズを聞かれる」。娘が上司に性的暴行をされ、一歩も外に出られなくなったという親からの訴えもあった。被害者は私だけではなかった。

 なんでこんな思いをさせられないといけないのか。尊厳を日々、すり減らされないといけないのか。男性たちが当たり前のようにする行為が、女性にとっては差別だったり傷みだったりする。女性が嫌な思いをしていると気付いていないから、繰り返す。被害を決して埋もれさせない。男女の対立を促すためではなく、ともに生きていくために、戦うことが必要だと決意した。

【セカンドレイプに疲弊】

 89年8月、会社と編集長を相手取り、福岡地裁に提訴した。17人の弁護団が結成されたが、そのうちの一人である角田由紀子弁護士に「あなたは男社会の常識に弓を引く女になる。ものすごいバッシングも来る。全力で守るけれど、大丈夫?」と言われたことを覚えている。角田弁護士の言葉通り、法廷では(被害後の誹謗中傷などで二次的な被害を受ける)セカンドレイプが繰り返された。

 被告側の証人となった編集長の友人に「彼女はふしだらでセックスの話が大好き」などと言われたり、弁護人に「(付き合いのある男性編集者と飲み会をしたことについて)女性がお酒を飲むことについて、悪いと思わないのか」と質問されたり。法廷であらゆる方向からおとしめられ、マスコミからも「女の集団ヒステリー」などと書き立てられた。

 精神的に追い詰められたが、92年4月、全面勝訴判決が出た。裁判所は編集長の行為が人権を侵害する不法行為に当たると認めたほか、会社も女性である原告を犠牲にし、公平に対応しなかったと認定。差別は明らかとして、会社と編集長に165万円の支払いを求める内容だった。

 弁護団とは「今回は勝てなくても、10年、20年後に意義が認められるようにしたいね」と言っていた。予想外の画期的な判決だった。

【セクハラの背景に、女性蔑視と男性優位の風潮】

 あらためて当時を振り返ると、専務は旧態依然とした価値観を持ったマッチョなタイプで、「女ごときに何ができるんだ」という感覚が強かった。編集長にも「女である晴野に負けるおまえは頼りない」とけしかけ、編集長は「男らしさ」の援軍を得たように、専務に取り入っていた。男性優位で女性蔑視的な風潮の中でセクハラが起こり、それを容認してしまう空気がつくられてしまっていた。

 専務とは対照的に、編集長はいわゆる「男らしい」タイプではなく、家庭を大切にしたい人だった。「女に負けている」「一人前の男になれ」などと専務からハッパをかけられ、しんどい思いをしていたのかもしれない。それが、私への加害行為につながったのだろう。そういう意味では、彼も男社会の被害者だったのかもしれない。

 男性はこうあるべきだというような「男らしさ」が、男性をがんじがらめにしている側面があるのではないか。そのよろいを脱いでしまったら「案外楽ですよ」と言いたい。

【セクハラをなくすために】

 学校では「男女平等」だと教えられるものの、社会に出れば組織内で決定権を持つのは男性。出世していくのも多くが男性で、政治の世界でも男女比は著しく不均衡だ。このようないびつな状況が、セクハラが生まれる風土を下支えしている。

 現状に対し、誰かが「間違ってない? おかしいよね」と声を上げる。その声が集まれば組織内で改革が始まり、社会の改革につながっていくのではないか。

 声を上げるのはつらいし、くじけてしまうかもしれない。そういう人の気持ちも大切にしたいし、最後まで戦うことを強要はしたくない。でも、声を上げた誰かがバトンを一度落としてしまっても、他の誰かが拾って走っていける。改革って、バトンを少しずつつないでいくっていうこと。つないでいけば、必ず変わっていく。そこに希望があると信じている。