崖に掘られた防空壕の一番奥にいて、熱線は浴びずに済んだのだけれど...。きのうに続いて、長崎市油木町、下平作江さん(83)の話に耳を傾ける

 1945年8月15日、日本の戦争は終わった。だが、下平さん姉妹の戦争はまだ終わらなかった。原爆はなおも2人につきまとう。放射線の影響で、やがて髪の毛が抜けた。鼻血が止まらない

 「妹のおなかにできた傷が、いつまでたっても治らないのよ。『汚かやないか。ウジをぽろぽろ落としてから』って、ののしられてね」。学校ではひどくいじめられた

 勝ち気な下平さんは言い返すことができた。「原爆だもの。仕方がないやない」。しかし、妹は違った。体調が優れないこともあったのだろう。「一緒に死んで」と、何度も懇願された。「原爆と貧困に負けたのね」。10代の終わり、妹は一人で列車に飛び込んだ

 悲劇を繰り返してほしくない。修学旅行生らに体験を語るようになった。原爆資料館で、米国の生徒に反論されたことがある。「私たちの国が、こんなことをするはずがない」。事実を伝えるのが、いかに大切か、と思う

 苦しむ人がいない、人間が人間らしく生きられる。平和とはそういうものだ。「そのためには人の痛みが分かる心を持つこと、互いに手をつなぐこと」。核兵器が必要という人のいる限り、叫び続ける。