キャラウェイ高等弁務官。その名を聞いて眉をひそめる高齢者が、沖縄には今でも多いそうだ。本土復帰前の沖縄を統治していた米政府の責任者である
1961年の就任だから、復帰する11年前。沖縄で当時強まっていた自治権拡大を求める声を「沖縄住民による自治は神話にすぎない」と突き放し、独裁的な権力を振るった。住民の反感を買い、かえって独立運動を過熱させたと伝わる
おそらく沖縄以外での知名度は低かった。その名を広く知らしめたのは、亡くなった沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事だろう。知事就任のしばらく後、官房長官との会談で持ち出した。「『粛々』という言葉を使わないでもらいたい」というせりふとともに
普天間飛行場の辺野古移設を「粛々と進める」というのが、政府の決まり文句だった。翁長氏は「粛々」という言葉を、上から目線だと嫌う。キャラウェイ氏の強権支配を重ね見たので、くぎを刺したという
名刺代わりに見せた気骨は、共感を呼んだ。翁長氏はそもそも「保守中の保守」。普天間の県外移転から辺野古移転阻止に転じたのも、政府の強引な手法に反発したからだ。対立姿勢は終始崩さなかった
志半ばで病に倒れたのは無念に違いない。翁長氏亡き後、保革の枠を越えて基地問題に取り組む「オール沖縄」の理念は、引き継がれるだろうか。