記者の仕事は「伝える」こと。だから、さまざまな職業の人と付き合う。取材相手の生き方や信念に感銘を受け、「伝えるより、自分でやりたいんです」と言う若者を何人か見てきた
「救急医療を担う医者になりたい。医学部に入り直します」と、会社を辞めた記者がいた。入社してまだ3年。仕事に手応えを感じ始める時期だ。率直に、惜しいなあと思った
取材で知った救命救急の世界。これから理系の受験勉強を始め、運よく医学部に入ったとして、一人前の医師になれるのは30代半ばか。一度きりの人生、信じる道を行けばいい
彼のことを思い出したのは、東京医科大の不正入試で浪人生を差別していたことを知ったからだ。男子でも3浪には加点が少なく、4浪以上は女子同様に加点なし。小論文で満点を取っても、80点しか与えられないという
順調に高校を出て毎年受験したとして、3浪は21歳、4浪は22歳。未来ある一人一人の若者でしかない。20代後半で救急医療に目覚めた元記者は、どんな扱いを受けるのだろう
個性や意欲、経験に関わりなく、性別や年齢で「将来、大学の役に立つ」「貢献度は期待できない」と機械的に振り分ける。高級文科官僚の子息は、もちろん「役立つ存在」。特別待遇の入学など、お安いものだ。一体、どんな医師を育てたかったんだろう。