飯原一夫画文集「徳島哀愁歌」

飯原一夫画文集「徳島哀愁歌」

 3月29日付の朝刊1面コラム「鳴潮」で、敬愛する画家・飯原一夫さんの「徳島哀愁歌」を取り上げた。大滝山の桜、買い物客でにぎわう東新町、徳島ステーションこと徳島停車場、津田の石切り場など、徳島の懐かしい風景が生き生きと描かれ、滋味深い文章や短詩が添えられた画文集だ。

 時代でいえば、明治から大正、そして高度成長が訪れる昭和の半ば頃まで。空襲で焼け落ちて仮橋が架けられていた頃の新町橋、赤茶けた焼け跡の上に青空が広がった八百屋町なども描かれ、反戦平和への強い思いが伝わってくる。

 飯原さんが徳島新聞夕刊に毎月連載した「徳島慕情」(1996年7月~2000年6月)、四国放送番組表の表紙絵(1975年4月~2006年6月)の中から、えりすぐりの84作を収録。2006年7月に飯原さんの画業の集大成として出版された。

 「ケケス原」「川と海」「あの村この町」「戦後という時代」の4章で構成。ケケス原とは、湿地などに広がるヨシの原のことだ。夏が近づくと、ヨシキリが一日中「ケケス、ケケス」と鳴いたことに由来する。かつては徳島市の末広新田や興源寺川、鳴門市大津の徳長橋、阿南市の辰巳新田などに見られたが、住宅地になったり工場が建てられたりして、今では大きく様変わりしている。

 以前、筆者の取材に「私が描くのは今はもう姿を消してしまった風景。優しくて、情感があって。社会がこうあってほしいなという私自身の願望が現れているんですね」と話していた飯原さん。そうした思いを色濃く反映するように、西の丸運動場、光慶図書館、小松島線、阿淡汽船待合所、小松島港ハイカラ館などが取り上げられている。いずれもかつて徳島にあり、今は往時を知る人たちの記憶の中に、その姿をとどめている建物や風景だ。

 このうち「光慶図書館」と題した一編を、全文紹介しておく。大正天皇の即位を記念して1917年、徳島中央公園内に開館し、1945年7月4日未明の徳島大空襲で焼失した名建築である。

 イチョウの落ち葉で栞をつくり
 ページにはさんで忘れぬように
 
 若い季節に優しさ育て
 心にきざんで忘れぬように
 
 若い心におもいで残し
 ノートにメモして忘れぬように
 
 イチョウの落ち葉で栞をつくり
 心にはさんで忘れぬように

 1929年生まれなので、とうに卒寿を越えられた飯原さん。中学校の美術教師や徳島文理大教授として長年、後進の指導に当たられ、徳島城博物館などで個展を開いてきた。阿波の歴史を小説にする会編「阿波の歴史小説」集の表紙絵でもおなじみだ。

 ノスタルジーあふれる独特の画風は「飯原調」と呼ばれ、多くの県民に広く親しまれている。筆者などは、筑豊の炭坑記録画家で「ユネスコ記憶遺産(世界の記憶)」に国内で初登録された山本作兵衛翁とも相通じるものがある、と思うがどうだろう。

 飯原一夫画文集「徳島哀愁歌」は徳島出版刊、170ページ。徳島県立図書館などで閲覧できる。