40年前の全国高校野球大会は、第60回を記念して一県一校の出場となり、四国は県都の名を冠した4校が勝ち上がった。「四国の四商」と呼ぶ名門校のそろい踏みは、これ一度きりだ

「一番早く、瀬戸内海を渡りたくない」。抱負を聞かれた主将たちの決まり文句だった。1回戦で敗れるわけにはいかない。四国から来た学校は、ライバルであり、共に甲子園で戦う友であり。当時は、そんな風情があった

「四商」に強敵が立ちはだかる。仙台育英と緒戦で対した高松商は延長17回、痛恨の押し出し死球で敗れた。マウンドでうずくまる河地良一投手。マスコミは「泣くな河地」とたたえた

勝ち進む仙台育英の相手が、四国で1校残る高知商と決まった時、新聞には、高松商からスコアブックを託される記事が載っていた。「勝ってくれ」「任せてくれ」。今の感覚では、引いてしまうような絆物語である

古びた記憶がよみがえったのは済美との対戦が決まった高知商、上田修身監督の言葉だ。「何とか四国の中で最後に残れるように頑張りたい」。久々に聞く響きがあった

5連続敬遠で批判を浴びた明徳、馬淵史郎監督。「四国の野球が石川の野球に負けられない」。新興校を率いる若手監督の本音だったに違いない。高校野球の歴史を語る上で「四国の誇り」はキーワードの一つだ。