6月15日は空海さんのお誕生日なんよ。讃岐に生まれて、今年で1250年じゃ。生誕地の香川県善通寺では節目を記念して、たくさんのにぎわいだとか。
生まれたときは真魚(まお)と名付けられ、大事に育てられた。しかし7歳のとき、わが身を山から投げ落として、仏に会おうとしたんじゃと。これを「捨身(しゃしん)ケ嶽の伝説」という。なにを思うたか。この世はゆめまぼろし、あの世に真実の世界があることを体験しようとしたんかいな。
幸い、いのちをえて、その後は京、奈良で学問を積まれた。青年期にドロップアウトしてからは、四国や和歌山の山林で修行を重ねる。31歳でついに唐の国に渡り、国家護持の仏教を授かったんじゃ。日本にもたらしてからは天皇の継承する神道とも融合し、神仏習合の日本仏教のみなもととなったんよ。朝廷から「弘法大師」の尊号をたまわった、まさに仏教界のスーパースターじゃ。
「同行二人」。お遍路さんは白衣や笠に、この言葉を書きつけるじゃろ。お大師さんは四苦八苦の人生を旅する人々の杖になって、ともに歩んでくれるんよ。南無大師遍照金剛…。
まあ、お大師さんのような国家的偉人ならずとも、平和に暮らし、いさかいや愚痴、怒りなどは「見ざる言わざる聞かざる」「柳に風」でいきませんで。困った人やご近所の人、近隣諸国とは手を取り合って、間合いを取りつつ。共苦共感の「同情二人」で、仲良くしたいものじゃね。(砂かけ爺)
※四国や和歌山の山林で修行=空海直筆の国宝「三教指帰」には、若い頃に阿波や土佐で修行したことが記されている ※唐の国=現在の中国。空海の入唐は804(延暦23)年のこと ※「弘法大師」の尊号=空海入定から八十数年後の921(延喜21)年、醍醐天皇から下賜されたのが「弘法大師」の諡号(しごう=おくりな)である