昭和天皇に仕えた侍従、故小林忍氏が書き残した日記の内容が明らかになった。天皇の晩年、特に体調を崩してから亡くなるまでの記述は極めて冷静で具体的だ。

 現陛下は、退位を思い立った背景にこの時期の経験があることを、2016年8月のビデオメッセージで示唆されていた。

 陛下の退位と皇太子さまの即位は来春に迫っている。平成から次代への代替わりに「昭和の終焉(しゅうえん)」をどう生かすか、日記から学ぶべきものは多い。

 侍従とは、天皇の「秘書」の役割を担い、夜も交代で当直勤務をするなど、24時間態勢で天皇を支える。

 日記によれば、昭和天皇は1987年4月上旬、「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。つらいことを見たり聞いたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことを言われる」と語った。

 侍従との密室のやりとりで吐露した、昭和天皇の本音だったのだろう。

 直前に、弟の高松宮が亡くなられたばかり。直後の4月29日の誕生日では、祝宴の途中で食事を戻し、体調悪化が決定的になった。

 この時点で既に膵臓(すいぞう)がんを患っていたのは間違いない。侍従とのやりとりは、心身の衰えが85歳の昭和天皇を一気に襲った頃の出来事である。

 開腹手術を経て、翌年9月、昭和天皇は大量吐血し、亡くなる89年1月7日まで111日間の闘病が続いた。

 容体やご様子について、日記は生々しく記述している。治療といっても、患部の出血を大量輸血でしのぐ延命措置だったことが見て取れる。

 「このところ輸血の効果が仲々(なかなか)出にくくなっている。(略)愈(いよいよ)今度こそはという時期にきている」。亡くなる前日の記述。緊迫した事態を正確にとらえている。

 当時、皇太子だった現陛下は日々、昭和天皇を見舞い、国事行為の臨時代行を務めた。政府は摂政を検討する一方で、代替わり準備を着々と進めた。

 マスメディアは、容体報道一色になり、全国的に行事やイベントの中止、自粛が広がった。

 陛下はメッセージの中で「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにもさまざまな影響が及ぶことが懸念される」と指摘していた。

 続けて「天皇の終焉」に当たって、喪儀(そうぎ)と新時代への諸行事が同時進行する事態は「家族として厳しい状況下に置かれる」と、心情を明かしている。

 天皇と時代の終焉を二つに分けることは、陛下自身の厳しい経験が出発点だろう。

 侍従日記は、代替わりの行事にも言及し、客観的な記述で当時の「空気感」を如実に描写する。宮中からの貴重な肉声として耳を傾けたい。