牟岐町が国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)への指定を目指す出羽島の集落に、1840(天保(てんぽう)11)年に建てられた木造民家をはじめ、大正以前の建物が35軒残ることが、増井正哉・京都大大学院教授(建築史)らの調査で明らかになった。増井教授は「古い木造民家がこれほど残っている漁村は全国にほとんどない」としている。
調査は2013、14年、町の依頼を受けて当時奈良女子大教授だった増井教授と同大の学生ら21人が実施。島内の民家約150軒のうち、建築年が古いとみられ、管理者の了解が得られた52軒について、棟札や構造、傷み具合などを調べた。
集落東端の小高い土地に立つ平屋の民家は、棟札から1840年築と分かった。中財家(徳島市)に伝わる県立文書館所蔵の「諸国大地震実録記」には、出羽島で54年の安政南海地震の津波被害を免れた民家が3軒あったとの記述があり、そのうちの1軒とみられる。
柱の上に直接はりを載せた「折置組」と呼ばれる伝統工法を用いており、はりが外壁から突き出た周辺の家屋と異なる特徴もある。
これ以外は明治以降の建築物で、棟札に加え、建築様式や古い島の写真、住民への聞き取りなどから、建築時期は明治前期が2軒、明治中期5軒、明治後期16軒、大正11軒、昭和戦前13軒、昭和戦後4軒と判明した。
時代が下るにつれて中2階建て、2階建てと建物が高くなる傾向がみられた。天保年間に建てられた民家周辺は曲線が多い江戸時代の地割りがそのまま残る一方、安政南海地震で被災した地区はその後の再開発で整然と区画されたことなども分かった。
増井教授は「集落形成の歴史や民家の履歴がここまで詳しく分かった例は珍しい。この貴重な集落を日本の宝として残してほしい」と話している。
調査結果は、重伝建指定に向け、町が策定する同地区保存計画の基礎資料として活用される。