癒やされることのない悲しみがある。尽きることのない涙も。阪神大震災で大学生の息子を失った両親の話を聞きながら、そう思った。震災から6年後のことだ
大学生死亡の記事を書いた。もう6年もたつ、そんな感慨も抱えての再訪だった。今更、話すことはない、と断られても仕方ない。半ば諦めつつ玄関の戸を開けた。案に反して居間に招き入れられた。両親は後になって明かしてくれた。「命を大切に考えてくれる人が、一人でも増えればと思ってね」
話し始めて、すぐに気付いた。2人の心はまだ、あの時のまま。涙を浮かべ、胸の内を語ってくれた
現実は現実として受け止めなければいけない。分かってはいるけれど、どうしても息子の死が受け入れられない。6年では、とても足りない。「自分を納得させようと、生涯かけて努力するんだわ、きっと」と母
鳴門市の徳島自動車道で停車中のマイクロバスに大型トラックが追突し、高校生とバス運転手が亡くなった事故から1年がたつ。遺族が報道機関に寄せてくれた手記を読み、胸が痛んだ。「今も気持ちの整理はできないままですが、とにかく事故はなくなってほしい」「あの時のことを思い出さない日は1日もありません」
愛する者の不在を埋めるのは、いかに難しいことか。何ものにも代えられない。それが命だ。