被災の教訓を語る梶浦会長(中)や岩野さん(左)=札幌市南区の梶浦会長宅

 北海道で最大震度7を観測した地震から5日目の10日、道内全域に及んだ停電はほぼ解消し、揺れによる大きな被害を免れた地域では、小中学校の授業が再開されるなど少しずつ日常を取り戻しつつある。被災した徳島県関係者は「懐中電灯や携帯ラジオは必ず必要」と教訓を語り、南海トラフ巨大地震が迫る古里に備えを呼び掛けた。 (1面参照)
 
 停電が長期化し、情報収集が困難となった今回の地震。両親が美馬市脇町出身で、札幌徳島県人会会長を務める梶浦孝純さん(82)=札幌市南区=は「電池式のラジオが役に立った」と振り返る。

 梶浦さん宅は丸2日間停電。携帯電話は通信障害などで使用できなかった。同居する長女がスマートフォンにラジオアプリをダウンロードしていたが機能せず、情報を入手する手段は電池式ラジオだけ。「北海道では今も電池やラジオの品薄が続いている。徳島の人も備蓄しておいてほしい」と語った。

 料理教室講師の岩野美穂さん(52)=美馬市穴吹町出身、札幌市南区=は、車から電気を取り込んでスマホを充電したが、それ以上の車使用は控えた。市内ではまだガソリンなどの燃料不足が続いているためだ。

 停電中は、電気が復旧した近所の家で充電させてもらったり、断水しなかった家で風呂に入らせてもらったりした。「地域の絆を再確認できたのが唯一よかったことかな」と話した。

 最大震度5強を観測した苫小牧市に住む室蘭工業大(室蘭市)の永井真也准教授(地方自治論)=北島町出身=は、2012年に猛吹雪の影響で自宅が3日間停電した経験を踏まえ、懐中電灯5個と、携帯充電器4個を備えていた。おかげで丸1日の停電中も明かりに困らず、被災情報も収集できた。浴槽には水をためていたため、断水後もトイレが使えた。

 10日から仕事に復帰した永井准教授は「これまでの震災では公共交通機関がまひしているのに無理に出社しようとした人が会社に着けず、逆に帰宅困難になる例があった。企業、団体も災害や停電時にどう対処するか、ルール作りが必要」と指摘している。