地震を乗り越え、筆談で接客する粟田さん=札幌市のラウンジ

 札幌市の歓楽街ススキノで「筆談ホステス」として働く美馬市出身の聴覚障害者、粟田千尋さん(29)=同市東区=は、北海道を襲った地震で避難生活を余儀なくされた。口頭での指示や説明が分からず不安が募る中、手話のできる人に助けられ、古里からのメールに支えられた。お返しにと現地での炊き出しを手伝った粟田さんは「今、自分にできるのは元気な姿で仕事に取り組むこと」と前を向いている。

 美馬市美馬町願勝寺生まれ。1歳半ごろに突発性難聴で両耳が聞こえなくなった。徳島市の県立聾学校(現・徳島聴覚支援学校)を卒業し、県内の理容店勤務などを経て、今年4月から知人の紹介でススキノのラウンジに勤務している。

 6日未明、自宅で激しい揺れに見舞われた。電気が消えて真っ暗になり、棚やテレビが倒れた。パニックに陥ったが、すぐ地震だと理解し、水などの持ち出し品を用意した。ラウンジのスタッフで手話通訳のできる那珂慎二さん(33)=札幌市=が駆け付けてくれ、近くの中学校の避難所に向かった。

 初めての避難生活。市職員らしき人が出す口頭での指示や説明が分からず、不安が募った。支えになったのは那珂さん。粟田さんのために手話通訳をしてくれた。「助かった。那珂さんがいなかったらどうなっていたことか」。9日朝までの避難生活を乗り切った。

 「大丈夫? けがはない?」。徳島から届く家族や知人のメールにも勇気づけられた。「自分も何か人の力になれないか」。そんなとき、ラウンジの系列店が被災者に炊き出しをすることになり、手伝いを買って出た。

 8日夕、店内で食事が振る舞われた。インターネット上の書き込みや店頭の看板を見た人が次々に訪れる。粟田さんはおにぎりを握り、唐揚げとみそ汁を手渡した。約1時間半で用意した50食分がなくなった。受け取った人の口の動きで「ありがとう」と言っているのが分かった。

 10日の営業再開から店に出ている。いつも通り、ペンを片手に筆談で接客する粟田さんは「精いっぱい働く自分の姿を見せて、お客さんを元気にしたい」と笑みを浮かべた。