徳島県選出で日本初の女性国会議員となった紅露みつ(1893~1980年)のインタビューを書き起こした原稿が、義理の娘の操子(みさこ)さん(79)=東京都目黒区、徳島市出身=宅で見つかった。インタビューは政界引退9年後の1977年に行われ、衆院議員1期、参院議員4期の歩みを振り返る内容。携わった議員立法の背景や女性議員としての葛藤、同時期に活躍した政治家の人物評などを赤裸々に語っている。
原稿が見つかった操子さん宅は、かつて紅露が暮らしていた。
インタビューは毎日新聞出版局に当時勤めていた岩尾光代さん(70)=歴史ジャーナリスト、東京都新宿区=が都内で行った。原稿はそのうちの約2時間分をテープ起こししたもので、口癖だった語尾の「な」を「ね」に変えたり、人物評の一部に斜線を引いて消したりと、紅露が手を入れた跡も残っている。
「売春防止法」や、ドメスティックバイオレンス対策の先駆けともいえる「酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」など、女性の地位向上に関わる法を発議した理由について「男女平等で、人の権利を、尊厳を侵してはならないんだというところから出てきた」と強調。市川房枝、山口シヅエら他の女性議員と意見を戦わせたことを紹介している。
文部省内に婦人教育課の設置を訴えるため、遊説から帰る岸信介首相を待ち伏せしたり、池田勇人首相の自宅に陳情に行ったりしたことも明かしている。
衆参両院で初の女性委員長(参議院在外同胞引揚特別委員会)に就いた時には、男性議員から「前例のない婦人を充てるなどとんでもない」と批判が出た。女性として日本で初めて小学校長を務めた木内キヤウ議員の「私も男性の反対を受けながら校長になったがやってのけた。私は紅露さんを推す」との一言で就任が実現したと述べている。
岩尾さんは、46年の衆院選で紅露と一緒に当選した女性議員やその家族らにインタビューし、99年に「新しき明日の来るを信ず はじめての女性代議士たち」(日本放送出版協会、絶版)を出版した。
同書では、紅露に立候補を決意させた一人息子の戦死と反戦への思いが中心に書かれており、今回見つかった原稿で記されたエピソードはほとんどが収録されていない。
この原稿は岩尾さんの手元には残っていなかった。岩尾さんは「女性参政権獲得70年の節目にこのような資料が見つかるとは」と驚き、「紅露さんは女性初の国会議員39人の中でも傑出した人物だった。『徳島は後進県だが、徳島の女性は先進だ』という自信に満ちた言葉が忘れられない」と語った。
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紅露みつらの肉声を収めたDVDが18日、東京・永田町の憲政記念館で開かれる女性参政70周年記念シンポジウム「女性は政治を変えられるか」で上映される。岩尾さんが「新しき明日の-」の取材テープや提供写真をデジタル化し、10分に編集した。
シンポジウムでは、同志社大の浜矩子教授と女性国会議員6人が女性の政治参加について意見を交わす。参加費500円。問い合わせは市川房枝記念会女性と政治センター<電03(3370)0238>。