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政経部長が動画で解説
飯泉県政の歩みと県内の主な出来事
5月 県議会から不信任された前知事の失職に伴う出直し知事選で飯泉氏が初当選
6月 建設業の姫野組と岡田組が経営破たん
10月 全国健康福祉祭(ねんりんピック)が開かれる
2004年
1月 官民による「とくしまJリーグ推進協議会」が設立
3月 第十堰問題で知事が「まずは可動堰以外の方法から検討する」と打開策を表明
7月 県立防災センターがオープン

10月 「平成の大合併」県内トップを切って吉野川市が発足
12月 徳島ヴォルティスがJ2入り
2005年
4月 県庁の出先機関を再編した県南部県民局が始動
9月 県が県観光協会の債権29億円を放棄
2006年
5月 県西部県民局が始動・県発注工事で談合事件
8月 産官学によるLEDバレイ構想推進協議会が設立
11月 男女共同参画交流センターがオープン
4月 飯泉氏が再選
5月 阿南安芸自動車道・日和佐道路が一部開通
県南部健康運動公園野球場がオープン
9月 独ニーダーザクセン州と友好提携
財政悪化に伴い、県職員の給与カットへ
10月 県人口が80万人割る
国民文化祭が開かれる
2008年
4月 とくしまマラソン初開催

8月 新町西地区UR案の都市計画申請に知事が同意しない意向伝える
2009年
1月 新町西地区開発、飯泉氏と原徳島市長のトップ会談物別れ
3月 本州四国連絡橋で土日祝日の通行料金を上限1000円とする社会実験がスタート
6月 鉄道高架事業に伴う車両基地の移転先で、県と市、JR四国が合意
8月 衆院選で民主党が政権交代を実現し、県内2小選挙区でも勝利
2010年
4月 徳島阿波おどり空港開港
11月 鳥居龍蔵記念博物館が開館
12月 関西広域連合が発足
4月 飯泉氏が3選
7月 阿南安芸自動車道の日和佐道路が開通
11月 県が鳴門病院買い取りへ
2012年
4月 みなと高等学園が開校
阿波しらさぎ大橋が開通
9月 2度目となる国民文化祭が開かれる
10月 新県立中央病院が開院

12月 衆院選で自民党が政権を奪還し、県内全小選挙区で勝利
2013年
1月 長安口ダム改造事業本体工事に着手
5月 中央構造線活断層上の建築前調査を義務付け
12月 徳島ヴォルティスがJ1昇格
2014年
4月 阿波とくしま商品券発売
10月 徳島、兵庫理両県知事が渦潮の世界遺産登録へ協議会設置で合意
12月 県西部で大雪被害
県内小選挙区が3から2に削減されて初の衆院選
2015年
2月 徳島南環状線の2・2キロが開通
3月 徳島自動車道の鳴門ジャンクション―徳島間が開通し、県都と本州が高速道で直結
7月 阿南市と那賀町で2年連続浸水被害
4月 飯泉氏が4選
2016年
3月 消費者庁が県内で試験業務
7月 参院選で徳島県と高知県による合区が導入
11月 県人口が75万人割る
2017年
3月 鳴門市でコウノトリのひなが誕生
7月 とくしま藍の日制定
消費者庁が県庁に新拠点
県が中央構造線地震の被害想定公表
2018年
1月 徳島空港新ターミナル運用開始

3月 記念オーケストラ脱税事件で音楽プロダクション元代表に有罪
4月 統合した徳島名西署と徳島板野署が業務開始、徳島東署を徳島中央署に 改称
2019年
2月 高松道全線が4車線化
4月 飯泉氏が5選
11月 徳島市の新ホールを巡り県市協議混乱
2020年
2月 新型コロナウイルス県内初感染
とくしまマラソン初の中止
4月 徳島含む全国に緊急事態宣言
8月 徳島市の阿波踊り中止
8月 そごう徳島店が閉店
9月 新ホール、県市協調で県立ホール整備へ
2021年
3月 徳島南部自動車道の徳島沖洲―徳島津田間が開通
4月 県立夜間中学校が開校
10月 衆院選への出馬が取り沙汰されていた飯泉知事が不出馬を表明
12月 阿佐海岸鉄道のDMVが運行開始
2022年
3月 徳島南部自動車道の徳島ジャンクション―徳島沖洲間が開通

7月 四国4県で全国高校総体(インターハイ)が開催
9月 特別交付税の配分額を巡り、つるぎ、石井、板野の3町が県を提訴
教えて知事選
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Q 知事選はいつから始まったのですか。
A 戦後からです。戦前は、政府が選んでいました。新しい憲法ができて、住民による投票で選ばれるようになりました。このため、戦前は「官選知事」、戦後は「公選知事」や「民選知事」と呼ばれることもあります。初めての徳島県知事選は1947年4月5日に行われました。3人が立候補し、阿部五郎さんが当選しました。以来、前回知事選の2019年まで計21回実施され、8人の知事が誕生しています。
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Q 徳島県知事選は戦後21回行われています。最初の選挙があった1947年から前回までの2019年までは72年間です。知事の任期は4年間のはずですが、数が合いません。
A 任期満了まで務めなかったケースがあるためです。最初は原菊太郎さんです。1955年の知事選で当選し、3期目の途中で辞任しました。体調不良のためとされています。2001年からは3年連続で行われました。01年の知事選で当選していた圓藤寿穂さんが贈収賄容疑で逮捕され、辞任しました。辞任に伴う出直し選挙で当選した大田正さんは、政策を巡る混乱から県議会で不信任決議が可決され、辞職しました。このため、再び知事選が行われました。
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Q 最近はなり手不足もあって、各地の首長選や議員選で無投票になるケースが目立ちます。徳島県知事選では無投票はあったのですか。
A 一度だけありました。1959年の原菊太郎さんです。それ以外は全て選挙戦となり、2019年までの計21回のうち、立候補者が2人だったのが6回、3人が11回、4人が3回でした。1985年以降は、3人以下となっています。
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Q 過去の徳島県知事選を見ていたら「決戦投票」という言葉が出てきました。これはどういうことですか。
A 決選投票は1951年の知事選で行われています。公職選挙法では当選に必要な票数が決められています。法定得票数と言います。当選者を決めるには、一定の信任が必要ということですね。51年の知事選では立候補した3人の票が拮抗しました。当時の公職選挙法では法定得票数は有効投票数の8分の3以上で、最多得票者も達していませんでした。このため上位2人による決選投票が行われ、阿部邦一さんが当選しました。現在、知事を含めた首長選の法定得票数は有効投票数の4分の1以上となっています。
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Q 徳島県知事選での最多当選回数は。
A 2003年に初当選した飯泉嘉門知事の5回です。次は1965年から81年まで務めた武市恭信氏の4回です。武市氏は5期目を目指しましたが、落選しました。3回は原菊太郎、三木申三、圓藤寿穂の3氏がいます。
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Q 徳島県知事選の投票率の最高と最低は。
A 最高は、1961年の85・8%です。3人が立候補し、三つどもえの大激戦となりました。最低は、1993年の39・97%です。新人だった元官僚の圓藤寿穂氏に与野党が相乗りし、関心が高まりませんでした。前回の2019年は48・34%でした。
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